Richard Mühlfeld 2

「ここにいるミュールフェルドさんのように美しくクラリネットを吹ける人はいないだろう。」 1891年3月、ブラームスはクララ・シューマンにこのように手紙を書いています。この時、ブラームスはミュールフェルドにクラリネットの技術や音を知るために、モーツァルトやウェーバーの曲を演奏してもらっていたそうです。その夏、ブラームスはバード・イシュルの滞在中に、クラリネット3重奏曲作品114、そしてクラリネット5重奏曲作品115を作曲します。その2つの曲は11月にプライベートでヨアヒム四重奏団を招きマイニンゲンで初演され、その後ヨゼフ・ヨアヒムの勧めで12月にベルリン弦楽四重奏の夕べで公に初演されます。ブラームスはこのことをミュールフェルドに「私たちの共同作業、そして一緒に演奏したことは私にとって一番幸せで美しい音楽家としての経験の一つでした。そしてこれは私の中で最も価値のある思い出として刻まれるでしょう。」と手紙につづっています。 ブラームスとミュールフェルドの関係はその後、二つのソナタの作曲も含め、ブラームスの死までずっと続きました。 ミュールフェルドのクラリネットの演奏はワーグナーやブラームス、その他、当時の作曲家にクラリネットの可能性を大きく広げる役割を果たしました。奏者と作曲家のつながりは本当にその楽器の可能性を広げるためにすごく大切で重要なこと。ベニーグッドマンは多くの作曲家に作曲を依頼し、そこから関係を深めていきました。ミュールフェルドは自分の演奏で作曲家を魅了しました。今、現在も多くのクラリネット奏者が作曲家と共に新しい曲を生み出していっています。クラリネットの奏法もどんどんと変わっていきます。そしてそこには「楽器開発」という課題も出てきます。奏者・作曲家、それから楽器の開発。この3つのトライアングルが、今後どのように発展していくのか。クラシック音楽家は考古学者でありながら、同時に発展者でもあると思っています。特にクラリネットは比較的新しい楽器で、他の弦楽器や管楽器とは違いレパートリーもロマン派以降に重点がある。しっかりと現代に起こっていくことを見逃さず、私自身もいろいろと挑戦していきたいと、また改めて心に誓います。

Richard Mühlfeld 1

「私は十分に創作した。今、若者たちが来るべきだ。」ブラームスは1890年、自身の意欲の喪失から作曲を辞める決意をします。しかしその翌年、1981年3月ミュールフェルドにマイニンゲンで出会います。その後すぐ、クラリネット3重奏曲作品114とクラリネット五重奏曲作品115を、そして3年後の1984年に2つのクラリネットソナタ作品120を彼のために作曲します。 リヒャルト・ミュールフェルドは1856年2月28日にザルツブルクの音楽監督であったレオンハルト・ミュールフェルドの息子として誕生します。レオンハルトはリヒャルトにヴァイオリン、ピアノそしてクラリネットを教えます。彼はザルツブルクの教会合唱団にも所属し、そこで音楽家としての経験を積みます。そして18歳の時、マイニンゲン宮廷楽団の第2ヴァイオリン奏者になります。その頃からすでに彼はしばしばクラリネット奏者としてもオーケストラで演奏していました。マイニンゲン宮廷楽団は1876年、ワーグナーに招待されバイロイトで演奏をします。ミュールフェルドもそれにクラリネット奏者として同行していました。ワーグナーは彼のエグモント序曲のソロを聴いて、「今日のようにいつも演奏しなさい、そうすれば全世界があなたにひらけるでしょう。」と言いました。その後、ワーグナーの推薦で1879年に彼は正式にマイニンゲン宮廷楽団の第1クラリネット奏者となります。1884年からはバイロイトフェスティバルオーケストラの首席クラリネット奏者としても演奏します。亡くなるまでに彼は31年のキャリアの中で138の場所、645の演奏会で演奏したそうです。オーケストラ奏者以外でも男声合唱団の指導、ピアノとクラリネットの先生としても活動していました。 上に書きましたがブラームスは1981年にミュールフェルドに出会います。ですが、それは一番最初の出会いではありません。1881年にも一度マイニンゲンで出会っています。当時、マイニンゲンの指揮者であったハンス・フォン・ビューローがブラームスを指揮者として呼び、彼の交響曲とピアノ協奏曲を演奏しています。 ブラームスとミュールフェルドの関係についてはまた次で詳しく紹介したいと思います。ミュールフェルドのためにはブラームスだけでなくBerger, Dubois, Frugatta, Jenner, Krehl, Marteu, Rabl, Stanford, Verhey, Prinzessin Marie Elisabeth von Sachsen Meiningenらも作曲しました。ワーグナーの言う通り、たくさんの人を魅了したミュールフェルドのクラリネット。すごい。

Benny Goodman

まずは、私のチューリッヒでのマスタープロジェクトのプログラムノートから。テーマはジャズクラリネット奏者ベニー・グッドマン。私がクラリネットが好きになっていくきっかけのひとつでもあります。 ベニー・グッドマンクラシック音楽における彼の旅 「キング・オブ・スイング」、ベニー・グッドマンは有名なアメリカのジャズクラリネット奏者であり、バンドリーダーです。1938年、彼はニューヨーク・カーネギーホールでジャズのコンサートを開催しました。当時、アメリカではまだ人種差別が色濃く残っていましたが、演奏会ではアフリカ系アメリカ人の奏者もともに演奏し、大きな話題となりました。ベニー・グッドマンはクラシック音楽界でも重要な存在です。多くの20世紀の作曲家、例えばヒンデミット、ミヨー、アーノルド等は、彼に作品を献呈しました。そしてそれらの作品は今でも私たちクラリネット奏者にとってとても重要なレパートリーです。彼にとってジャズとクラシックは2つの異なるジャンルではなく、2つの補い合うジャンルでした。「クラシックでは、音の質、他の楽器、フレーズ、テンポなど、作曲家がどのように作品を作曲したのかを考えて、その音楽の中でベストなものを表現する。それがすべて整って、他の演奏家と同じアイディアを感じることができれば、それはジャズ奏者が「スウィング」と呼ぶものと全く同じなのです。」 Benny Goodmanseine Reise zur klassischen Musikwelt Der «King of Swing», wie man Benny Goodman auch nannte, war ein sehr berühmter amerikanischer Jazzklarinettist und Bandleader. Im Jahr 1938 gab er sein erstes Jazz-Konzert in der New Yorker Carnegie Hall mit seiner Big Band, dem Benny Goodman Orchestra und anderen berühmten Gastmusikern, darunter auchContinue reading “Benny Goodman”